【10月9日】
〇石谷定逝去の報を聞いたのは9日午後のことで、ちょうど自民党関係者から国政選挙の動静などを伺っていたのだが、石谷の悲報が流れ、一瞬、重苦しい空気が流れた。なぜか「一つの時代の終焉」を感じさせるものだった。
彼は石谷組代表として、建設業協会八頭支部副支部長といった要職を歴任していたのだが、まだ建設業のイメージアップが取り上げられる以前から、建設重機にキリンやシマウマなどの模様をペイントするなど「より親しみやすい建設業を」とユニークな取り組みを行っていた。
なにより子供好きな一面があり、引退後は童話集を出版するなど「異色の才能」を持った方でもあった。
個人的には、どちらかというと旧船岡町議会議員としての活動が印象に残る。ともかく情報収集が速かった。速いだけでなく、手に入れた情報で先手を打つ能力は他の追随を許さなかった。
議会での一般質問など「なぜ石谷議員がこんな面倒な話を知っているのだ」と執行部を震え上がらせ、担当者が言葉を詰まらせることが度々あった。
大抵の議員なら、そこで得意になって手厳しく追及するのだが、なぜか石谷さんは、相手方にあえて「逃げ場所」を作るようなところがあった。そんなことから、「石谷は詰めが甘い」などと批判する者もいたが、「しくじった者を徹底的に痛めつけて何が面白い? 大切なのは、なぜこんな不始末が起きたのか、目に見えない隠れた原因を洗い出すことだ」と意に返さなかった。
要するに、相手を追い詰めることで、自分の能力を誇示するような振る舞いを嫌った。そういう人柄が多くの人に慕われ、町議会議長にまで上り詰めたのだと今さらだが考えている。
「石谷定」。もうこんな人物は二度と現れないだろう。そしていい時代だった。合掌。